メジャーのディレクターから転身する
メジャーのディレクターから転身する
namijinさん[headrock]
メジャ一在籍時の00年にイベント"ヘッドロックナイドをス夕一卜。03年にレ一ペルを開始。04年に独立。DJ、NUM42のべ_スボ一カルとしても活躍。www.head69.com/
メジヤーレーベルのディレクターをやりながらインデイズレーベルをスター卜、現在は独立してインデイーズのみに。当初から一貫して変わらぬテーマは“ENJOYPUNKROCK”。その奥に隠された意味とは?
利益よりも、新しい文化を発信することのほうがよっぽど重要。
ーレーベルを立ち上げた経緯は?
「まだ僕がワーナ一ミュージックの社員ディレクターだった時代に、新宿ロフ卜の小林くん(当時店長_現社長)と話してて。ちようどワーナ一で『ワーナ一インデイーズ』つていうインデイ一ズレーベルを始めようとしてたときで、僕はメジャ一レ一ベルのほうにいたんだけど、社内インディ一ズのほうもかけもちでやって、若いバンドの発掘と育成をしようと思うんだよね、みたいな話をしたんですよ。
そのときに、日本語でやつてるパンクバンドがこれから来ると思うんだよねって話をしてたら、“じゃあナミジンがいいと思うバンドを気ままに集めてイベントやったらどう?”みたいな提案をしてくれて。
で、多少ビビりながらも当時の上司に話をしたら、“何がどろ発展するかわかんないからやってみなよ”って。それでス夕一卜したのがきっかけですね。それでまず『ヘッドロックナイ卜』っていうイベン卜が始まったと」
ーそれがレーベルに発展していったきっかけは?
「さつきの上司はそういうところには非常に寛大だつたんだけど、レ一ベルに関しては非常に厳しい方で。“メジャ_レ一ベルのデイレク夕一としてヒットのないお前が自分のレーベルを持とうなんて100年早い”って言われ続けてきたんですよ(笑)。
その上司がワーナ一を退社されまして。で、次にやってきた上司が“お前がやってる『ヘッドロック』さ、レ一ベル化したらおもしろいんじやないの?”って言ってくれて。それがきっかけ。ボーンと背中を押してくれたんですね」
『ENJOYPUNKROCKJ=『ENJ0YL丨FE』です。
—ヘッドロックのテ一マとしては、やっぱり「ENJOYPUNKR0C_-言に集約される?
「そうですね。それをもうちよっとくだいて説明すると、パンクロックって恐いイメージがどうしてもある。そういう偏見に対して、“いや、今どきのパンクって楽しいんだよ”っていうことを伝えたいっていうのがひとつ。
あと、特に若い子ってい5のは自分の好きなバンドの2、3人隣までしか見ないんですよね。ましてや洋楽なんて聴かないし。そういう子たちにいろんな形でパンクロックを楽しむきっかけを作つてあげたいなつて。
まあ、大貫憲章さんがやつてるみたいなことを自分もやりたいなと。だからDJとして、太陽族見に来たお客さんに、僕が洋楽かけてグリーン•デイや才フスプリングを教えてあげるとか。スタンスパンクス見に来たのにニコチン好きになって帰っていったとか。そういう出会いを与えたい。あともうひとつ大きいテーマを言うと、今43歳なんですけど、好きなものを一生まっとうしていく素晴らしさを身をもって示したい。今の若い子たちに、好きなものは死ぬまで好きでいていいんだぞって。
だから『ENJOYPUNKROCK』っていうか『ENJOYLIFE』ですよね。人生を楽しもうと」
リスクを背負ってでも、価値があるんだったらやるべき。
—メジャーと比べたインデイーズのメリットって何です?やっばり誰でもすぐ始められること?
「そう、やる気さえあれば。メジャーはそろはいかないですよ、なかなか。やっばりハ一ドルがあるんで。まずメジャ—レーベルに自分が就職しなきやいけないとか(笑)」
—ただ、そのかわりリスクもしよわなきやいけない。
「やる気があればつていうのはリスクを負う覚悟があるってことだから。これは僕の体験談だけど、ワーナーにいる僕っていうのは何の持ち出しもないんですよ。でも、インデイーズレ一べルから出す原盤を自分が持つってことで、アルバム1枚作るのに何十万って金を注ぎ込むわけですよ。それがいくらになって戻ってくるかは正直、今まで『ヘッドロック』で10枚くらい出してきて、元が取れた作品って2枚くらいかな(笑)」
—アハハハ
「僕のアドバイスとしては、リスクを背負ってでも、自信を持ってこれは世の中に紹介するべき作品でありアーテイス卜だと思ったら、やるべきだと思うんですよね。商売というか、メリット、デメリットだけを考えてやるんだったら、僕はインデイ一ズはすすめない。そのやり方はメジャ一にあるし、そういろ人はメジャーで力をつければいいんですよ。インデイーズはそうじやなくて。
誰も知らない曲を、自分の価値観とともに紹介していこうと。僕がレ一ベル続けてるのはそういう気持ちがあるからで。利益のことよりも、世間に対して新しい文化の発信となるかもしれないものを送りだすことのほうがよっぽど重要かなって。インデイーズレ一ベルってすごい魅力的なんですよね」
2006年「音楽主義」より